編阿弥
Amuami
あむあみ
越前の和紙、金沢の箔、輪島の漆、江戸の切子、別府の竹細工、高岡の鋳物、大川の組子、岐阜の提灯。
海に囲まれたこの小さな島国は、山河を連ねて南北に細く伸び、その山あい谷あいに実にさまざまな国振りを抱いてまいりました。満目の白銀が大地を覆う北国から、色鮮やかな草花が陽を集める常夏の南まで、土地土地の風土と暮らしが千態万状の手仕事を育んできた国であります。
自然が素材を用意し、そこに生きる人々の暮らしが道具を見出し、職人の手技が磨かれていきました。ある者は形を、ある者は絵付けを、ある者は仕上げを、小さな作業場を渡りながら、技を連ねてひとつの品物が出来上がる。つくり手の名を記さぬ端正な品々は、幾重もの人と手と技の連結から生まれてくるものでありました。
その技術は代に代を重ね、手から手へと継がれていきます。丹精や精進が長い時をかけて暮らしの大地に根を張り、色とりどりの花を咲かせては、実りをまた次の代へとつないでまいりました。
いつのころからでありましょうか。品物も町並みも人の様子も、舶来の暮らしぶりの波に覆われ、便利と手軽が世の価値となっていく中で、そこかしこに咲いていた小さな手仕事の花々は、次第に色を消していきました。文化の根はやせ細り、千年を継いできた職人の技の数々が、そう遠くない間に最後の世代とともに途絶えようとしています。ひとたび根が絶えれば、元に戻すことは至難の業となるでしょう。
漢字から仮名文字をつくり、神々の国に仏を招き入れ、唐物と和物を取り合わせては、独自の様式を生み育てた日本の編集力は、けれどまだ消えてはいないはずです。
かつて「阿弥」を名乗る者たちがおりました。鎌倉の世に一遍上人が開いた時宗の徒として、阿弥号を名乗っては技芸を極めた半僧半俗の芸能者たちです。時の権力者のもとで唐物を扱い場を設え、自身、書画や連歌をたしなむ創造者でもありました。相阿弥の座敷飾り、善阿弥の作庭、文阿弥の立花、世阿弥の能。芸能の様式とともにさまざまな道具や品物が生まれ、職人の技が見いだされては花開いていきました。日本の美意識と目利きの力は、職人の手仕事との掛け合いの中で極められていったものであります。
五百年の時を経て、いまふたたび阿弥の働きを呼び起こさんとしております。
自然に寄り添い、畏れ、愛でながら、そこにある素材の命を取り出すこと、刻々とうつろう四季を引き込むこと、その極めて細やかな自然との問答が、つくり手の感覚と根気を支えてきたのでありました。素材の声を聞きながら、仕上がりを詰めるほどに際が立つ。ツメとキワが細部を支えている様が、日本のものづくりの姿であります。職人の祈るような手仕事は、自然の力を招く依代でもありました。その聖なる力を見出し文化となるまで編み上げることが、阿弥の仕事であります。
各地に残る手仕事の花を集め、古きと新しきを取り合わせ、この国に散在する職人の力を束ねてまいります。幾多の阿弥衆や職人たちの面影とともに、太い日本流を紡ぎ出さんとする私は、名を「編阿弥」と申します。
日本はリミックスの国、編集の国であります。そしてその奥には、時代を貫くいくつもの「方法」がひそんでいます。「なにが」という主題よりむしろ「いかに」という方法をこそ文化にしてきた国なのです。千年継がれる手業と先端のテクノロジーを縦横無尽に編み合わせ、本格と逸格に遊ぶ「方法の国、日本」を世界に開いてまいります。
2022年12月 編阿弥
Amuami
伝統技術ディレクター立川裕大が仕掛ける、日本の職人文化の継承と発展を推進する活動体。日本名は「編阿弥」。全国に残る伝統技術を見出し、地域社会や地球環境と調和しながら、日本の職人の仕事を世界に届ける自律的な経済文化圏の創出を目指す。