CHIE
透明は、磨かれてから
最後の一線を引く手 ── 智慧「仕上げの文化」の奥
切り出されたばかりのガラスは、白く曇っている。
磨かれて、はじめて透ける。
〈日月〉を光にかざすと、向こう側がそのまま見える。石英ガラスの塊から削り出された月は、影をほとんど持たない。製品の頁は、その理由をただ一行だけ書いている。「この高い透明度は、職人の丁寧な研磨によって生まれたものです」。
透明は、素材がはじめから持っている性質ではない。切り出されたばかりのガラスは、白く曇っている。磨かれて、はじめて透ける。日月のガラスを手がけるイーストンテックの工場では、直径1.83メートル、重さ4,300キロという国内最大のガラスが切削され、研磨される。磨き終わるまで、それはまだ透明なガラスではない。
同じ石英ガラスに漆を合わせた〈四分一〉では、漆とガラスの境目が、ひとすじの直線で通っている。この一線を引く仕上げに使われているのが、駒井漆器製作所三代目・駒井康亨の螺鈿細工の技である。貝を薄く、正確に貼るための手が、漆の止まりぎわを決める。塗る技術ではなく、終わらせる技術。
刀を完成させたのが鍛冶ではなく研師だったように、ガラスを透明にするのは磨きの手であり、漆の縁を直線にするのは貝の手である。素材をつくる手と、最後の一線を引く手。工程表のいちばん後ろにある仕事が、その品の顔のほとんどを決めている。
五百年前、この位置を家業にした一族は、「阿弥」を名に負っていた。
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