目論見どおりに運ぶはずもなかった。手元のマテリアルサンプルを携えてデザイナーのもとを回ると、伝統技術を最先端のインテリアデザインにインストールするというコンセプトには共感していただけるものの、実際の仕事にはなかなか結びつかない。たまに問い合わせが来ても、納期と価格が折り合うことはまずなかった。
経験の浅い身には、先の見えない日々だった。それでも高岡市デザイン・工芸センターの所長はじめスタッフのみなさんは、なんとかかたちにしようと、陰で支え続けてくれた。行政の一機関としては破格の熱量だったと思う。今でも感謝は尽きない。
自身の生業を支えていたのは、得意としていた特注家具の生産管理だった。そんなある日、家具の専門家としての私に、ひとつの相談が舞い込む。「目黒通り沿いの老朽化したホテルを、家具の専門店ビルに生まれ変わらせたいので意見をもらえないか」と。